リーダーシップについて
リーダーシップについて書かれた本はたあくさんあります。
ただ、どこのポジションでのリーダーシップについてなのかがあやふやなものが結構あります。
この記事では、トップを取った人のリーダーシップについての本を紹介したいと思います。
トップを取ったというとあなたは誰を思い浮かべますか?
- 豊臣秀吉?
- 徳川家康?
- 田中角栄?等々
人それぞれ思い浮かべる人は違うと思います。
人物像も違ったりしますが、共通点もあると思います。
よく豊臣秀吉や、田中角栄が語られるときは、「ひとたらし」だったとか。。。
今一度、あなたがこの人はトップをとった人だと思う人の人物像などが書かれた本を読んでみると、共通点が見えてくると思います。
ここでは、「 田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得」を紹介します。
「兵の将」と「将の将」のリーダーシップの違いについて
田中角栄100の言葉とは関係ありませんが、
リーダーシップについての、面白い記事がありました。
組織のトップに必要な能力は何だと思いますか?「才覚あれど、天下を掴めなかった男」と「凡人でありながら、天下を掴んだ男」の対比から、読み解けるものがあります。世界史5000年の歴史から生まれた「15の成功法則」を記した『最強の成功哲学書 世界史』から見ていきましょう。
歴史に学ぶ「トップの才覚」。才能あふれる項羽、だらしない劉邦。天下を獲ったのは?
紀元前3世紀、始皇帝が打ち立てた秦は、彼の死とともに崩壊していきましたが、その中から、項羽と劉邦という2人の人物が頭角を現しました。この両雄を比較してみると、• 項羽 … 楚の将軍の家柄。優れた体躯に恵まれ、ひと通り兵学を学び、勇猛で万夫不当の猛将。部下にも慈悲深く、惚れた女に一途。
• 劉邦 … 本名すらよくわからない農民の出。武勇拙く、兵法にも政略にも政治にも疎い。強い者にはへりくだり、弱い者には傲慢で、女にだらしない。
このように「才覚」という観点から見れば、どう見ても天下を獲るのは項羽のほうが妥当に見えます。しかしながら、現実に天下を獲ったのは劉邦です。なぜこうなってしまったのでしょうか。
その答えは、大元帥の韓信が劉邦に述べた言葉の中にありました。彼は、項羽では天下を獲れない理由を2つ挙げました。それが「匹夫の勇」と「婦人の仁」です。韓信曰く。
「項王(項羽)は、彼自身が万夫不当の猛将(将才)なれど、それゆえに優れた将軍を信じてこれに任せる(君才)ということができません。これはただの匹夫の勇にすぎませぬ」
つまり、項羽には「将才はあれど、君才がないため天下の器に非ず」というわけです。
トップに必要なのは、将才ではなく、君才
この「将才と君才」については、また別の話があります。あるとき、劉邦が「自分はどれほどの将の器であるか」と韓信に問うたところ、韓信は「そうですな。陛下ならざっと10万といったところでしょう」と答えました。では汝は如何にと劉邦は続けて問いました。「私なら100万の兵であろうが自在に操れます」「なんじゃと!?余が10万で、そちは100万か。ならばなぜそちは余の臣下に甘んじておる?」
「私は兵を操るのに長けた“兵の将”にすぎません。しかし陛下は、将を使うのに長けた“将の将”です。兵の将では、将の将に及ぶべくもありません」 つまり、「兵に将たる才(将才)」と「将に将たる才(君才)」はまったく別物であって、組織の頂点に立つ者は、部下を信頼して使い、また部下から慕われていれば(君才)、他の才(将才)などなくてもかまわないということです。というより、なまじ将才があると、かえって君才の邪魔になるくらいです。
項羽は、范増・陳平・韓信という錚々たる人材を擁していたにもかかわらず、誰ひとり使いこなすことができず、ひとり、またひとりと項羽の下を去っていきました。これでは、彼が天下を獲れなかったのも自然の理なのです。
なぜ項羽から、人が去っていったのか?
とはいえ、確かに項羽は、敵に対しては冷酷・残忍・無情で、鬼神の如く怖れられていたものの、そうでない者に対しては礼儀を以て臨み、慈悲深く、ときにやさしい言葉もかけ、思いやりも見せました。つまり、家臣たちから慕われる要素は充分持ち合わせていたわけです。にもかかわらず、項羽の下を次々と家臣が去っていったのは、「君才に乏しい」だけでは理由として弱いものがあります。そこにどんな差があったのでしょうか。項羽には、致命的な欠点がもうひとつあったのです。
それが、韓信が指摘した第二の欠点「婦人の仁」です。韓信曰く。「彼は、部下にはやさしい言葉をかけ、女性のような思いやりを見せることもありますが、いざ褒賞を与える段になると、途端に女々しくこれを渋ります。これは“婦人の仁”にすぎませぬ。これは致命的といってよい項羽の欠点です。大王(劉邦)が天下を望まれるならば、彼の逆を為せばよろしい」
項羽の逆、すなわち「家臣を信頼して仕事を任せ、功に対しては惜しみなく恩賞を与える」ことです。
得たものはなくなり、与えたものは増える
人は、自分が苦労して手に入れたものを頑として手放したがらないものです。どんな才人であろうとも、人ひとりの努力の成果などたかが知れていますから、「あれほど努力したのに、この程度の見返りしかないのか……」という思いに駆られ、より一層「これを手放してなるものか!」となってしまうのも無理からぬところはあります。しかし、自分の努力で手に入れたものは、どれほど手放すまいとしがみついてみても、春先の雪の如く、減ることはあっても増えることはありません。それどころか、そんなことをすれば必ず、周りの協力者がひとりまたひとりと去っていき、気がついたときには孤立化し、そんな犠牲まで払って後生大事にしていたものすら、いつの間にか手の中からなくなっています。項羽はこの愚を犯して、その身を亡ぼしました。
与えよ、さらば与えられん
項羽の二の舞にならない解決策はひとつ。自分の懐に入れておいてもどうせ消えゆくのですから、消えてしまう前にどんどん周りの人に感謝を込めて与えてしまうのです。得たものは、100%自分の力のみで手に入ったものではないはずです。必ず周りの人の助力、援助、支援があっての成果のはずです。ならば、報酬は入った先から、お世話になった人に惜しみなく与える。項羽と劉邦の例で言えば、項羽は、戦いにおいていつも敵を殲滅し、得た領土をほとんど我が物とし、功臣にこれを分け与えることを渋りました。それにより、始めは項羽に従っていた者たちも、ひとり、またひとりと、項羽から離れ、劉邦の下へ走っていくことになったのです。
これに対して劉邦は、なるべく戦わぬことを心掛け、戦わざるを得なくなったときもなるべく敵に降伏を促し、降伏した者には所領を安堵し、功を成した者には、得た領地を惜しみなく与え続けました。そのため、全国から優れた人材が集まり、各地の諸侯が忠誠を誓うようになり、与えた財が何倍何十倍にもなって劉邦の下に還ってきたのです。
確かに劉邦は項羽に比べ、才には恵まれていなかったかもしれません。しかし、項羽は奪えば奪うほど失っていき、劉邦は与えれば与えるほど集まり、ついに天下は劉邦の下に転がりこむことになったのです。「得たものは与える」。これを理解できない者は、一時的に成功したように見えることはあっても、必ず足をすくわれることになります。
自利は利他を言う。
組織のトップに立つ者は、特別な才能などなくても構いませんが、部下を信頼して使う度量と、他人の利益(利他)のために尽くすことが、結局自分の利益(自利)になることを心得、功に基づいて惜しみなく与えることが大切だということを、両雄の人生から学ぶことができます。引用元: “組織のトップに「才能」はいらない”優秀なリーダーほどハマる落とし穴とは?
田中角栄100の言葉(まとめ)
あなたも、今まで生きてて来て、「この人のためなら」「この人が困っているなら」と思ったことはあるのではないでしょうか?もちろん友達同士のなかでも。
逆に、どんなに相手が才能が有ったり、優秀な人だったとしても、この人のためにやるのはちょっと・・・とか思ったことはあるのではないでしょうか?
これは、直観と言うか相手の人柄と言うのか、、、うまく言葉では表現できませんが、そんな感情になったことがあると思います。
なんで人はそんな感情になって、その人の虜になるのか、その人のために尽くすのか。
そんなことが読み解ける1冊になっています。
「人間は年に関係なく、男でも女でも好きな人は好きなんだ」
人との接し方・・・まさに。